左眼に続いて右眼の手術を終えました。
術後診察では担当Dr.から経過が順調であることが伝えられました。
この間、不覚にも体調を崩し、心身に疲労を覚えていたところでしたので、まずはDr.の報告に安堵しています。
もうしばらく生活の自己管理が求められますので、引き続き粛々と臨むつもりです。
見えにくさは一連の手術で改善され、その左右差もほぼ解消しました。
これからの生活の質を考えたときに、このタイミングでの治療に係る一連の意思決定は最適であったろうと考えています。
さて、見えにくさはなぜ起きるのか?
医学的には圧倒的に加齢の説明率の高さが指摘されるでしょう。
一方で、見えにくさと加齢との関連については、次のような俗説?があると聞いています。
長いこと見たくないことを見続けてきた高齢者にとって、見えにくさは見たくないことをもう見なくてよいとするためであるというものです。
非科学的と断ずればそのとおりですが、心情的には不思議と共感できます。
このたびの見えにくさの改善は、私自身に新たな課題を提起していると考えるからです。
すなわち、見るべきことと見なくてよいことの見極めをいかに行うかということです。
可処分時間は有限であり、今後、見きわめるべきことに焦点をあてた地道な活動に努めるつもりです。
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