庭先にておもいを馳せて

暖かさに誘われて庭にでると、ききなれた野鳥の鳴き声に遭遇することが多くなりました。
声の主の多くは姿を見ることができません。
鳴き声を手掛かりに、鳥類図鑑でその正体に迫るようにします。

「ケキョ、ケキョ」とまだぎこちないのはウグイス、
「ツピ、ツピ、ツピ」とリズミカルなのはシジュウカラ、
「ケンケーン」とお決まりなのはキジ
ときどき足もとをせわしなく歩き、鳴くのはセグロセキレイです。
初夏には近くの田圃からセッカやオオヨシキリなどがその存在を主張してくれます。

ふっと、障害の重い子どもたちを思い起こしました。
眼前の子どもはその存在は誰でも視認できますが、
彼又は彼女の多くは、野鳥のように鳴き声をあげることもなく、また沈丁花のように香りをはなつこともありません。
そんな子どもの身体にそっと触れ、瞬時にその全身のみならず内的な状態まで把握する教師は、
何を手掛かりにしているのでしょうか?
いまでは、このような職人的な教師を見かけなくなっています。

庭先にて、個人が築き上げた職人芸の機序、方略を学術的に解明することへおもいを馳せるときとなりました。

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