放送大学を含めていくつかの大学、大学院で講義を担っています。
新型コロナウィールス感染症が拡大する中で、講義は過去3年間オンラインでの実施が強いられましたが、
秋学期開講のK大学だけは、幸いにも対面での講義を継続できていました。
本年度も先週土曜日に3日目の集中講義を終えたところです。
午前から昼休憩を挟んで18時過ぎまでの講義は、その長さだけでも学生にとってはつらいものです。
いわんや肢体不自由教育学を初めて学ぶ学生であれば、なおのことそう感じるでしょう。
そのため集中講義では、一コマごとに何を学ぶか、学んだことが当該教育の課題の理解にどうつながるのか、なるべく具体的に伝えるようにしています。
肢体不自由のある子どもの教育にこそ、教育の本質があるとの個人のおもいからです。
おもいがどう伝わっているのかは、学生のしぐさや表情から容易に読み取れます。
問いかけに回答することはほとんどありませんし、昼食後はまぶたが重くなる学生もちらほらいます。
こんなとき、いくつかある奥の手の出番です。
学びへの基本的欲求がある学生たちですから、ちょっとしたきっかけで主体が復活するようです。
対面での集中講義は、本年度、最初で最後になります。
学生と向き合う機会が限られるいま、講義に対して在職時とは異なった感触を覚えています。
教師はその職にある限り成長を遂げる存在であるとすれば、この漠とした感触に私の成長を見いだせるのかもわかりません。
提出された研究課題レポートにそのヒントを探してみようと思います。
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